ハーレーのレーサー!? 【ルシファーズハンマー】って何なん!?
いよいよ上陸間近となったハーレーのNEWモデル“スポーツスターS”。従来までの空冷OHVエンジンとは異なり、新設計の水冷DOHCの60度Vツインエンジンを搭載し、最高出力は121hp、最大トルクは125Nmと、その実力も「スポーツ」という名に恥じないものとなった。さて、そんなワケでスポーツスターSのスペックに注目が集まっている昨今だが、そもそもハーレーのスポーツバイクってどうなん!? と感じている方も多いことだろう。そこで唐突だが、ハーレーのレーシングシーンを振り返ってみよう。フラットトラックは有名だが、意外と知られていないのがロードレース。漫画『特攻の拓』に登場する人気キャラ、天羽時貞が【ルシファーズハンマー】と名付けられた“ヤマハSR400”に乗っていたことは有名だが、そのルーツは同名のハーレーダビッドソンのレーサーでもある。しかもスポーツスターと関係の深~いモデルなのだ。しかし、漫画の方は有名でも、その元ネタといえる本物は意外なほど知られていない。そこであらためてルシファーズハンマーというハーレーにスポットを当ててみようじゃないか。
2気筒のみで競う「バトル・オブ・ザ・ツイン」で勝つためのマシン
2気筒のバイクのみで競う「バトル・オブ・ザ・ツイン」が1982年からAMAの選手権としてシリーズ化された。このレースは、“排気量1000ccの市販車”をベースにすることをルールとして定めていたのだが、ハーレーの当時のラインアップにあった“XLH1000スポーツスター”でレースに出るのはあからさまに役不足。そこでレースに参戦することを目的に開発されたのが、1983年に発売された“XR1000”だ。
これは従来までのスポーツスターの腰下に、フラットトラックレースで圧倒的な強さを見せていたレーシングマシン“XR750”の腰上を移植したようなエンジンを急造し、それをスポーツスターの車体に搭載して発売した、まさしく急ごしらえのモデルだった。とはいえ、これがルシファーズハンマーそのものになったわけではなく、それを開発するための布石となったに過ぎないことは付け加えておこう。
XR1000のエンジンを【XR-TT】に搭載
ハーレー社には1970年代にロードレース用として開発したレーサー「XR-TT」があった。このフレームに先のXR1000エンジンを搭載したものが「ルシファーズハンマー」だ。当時、破竹の勢いを見せていた高性能な日本製スポーツバイクやドゥカティといったイタリア製バイクに対し、村を侵略した者たちに怒った魔王ルシファーがハンマーを振り下ろすかのごとく彗星を落としたというアイルランドに伝わる伝説を重ねて、この名がつけられたという。
1982年、シーズンの途中から投入されたルシファーズハンマーだが、翌1983年、3月にデイトナスピードウェイで開催された開幕戦においてジェイ・スプリングスティーンのライディングによって見事に優勝を遂げると、その後も目まぐるしい活躍を果たした。ジーン・チャーチのライディングによってバトル・オブ・ザ・ツインを3年連続で制したのである。4速のエンジンで当時最新のドゥカティ750F1を抑えて勝利したという事実はハーレー社にとっても快挙といえるだろう。
ルシファーズハンマーの進化と終焉
1984年から3度に渡って、バトル・オブ・ザ・ツインのシリーズチャンピオンを決めたジーン・チャーチとルシファーズハンマーだったが、1987年からベースマシンをビューエル“RR1000”とし、マシンも【ルシファーズハンマーⅡ】へと進化した。1973年型のXR-TTフレームを用いた旧型よりもメカニズムとして格段に進化したものだったが、ラバーマウントフレームとジーン・チャーチとの相性はあまりよくなかったうえ、1988年からはケガに泣かされ、満足のいく結果を残せなくなった。そうして1990年、ルシファーズハンマーはその活動に幕を下ろしたのである。しかし、その当時は最大のライバルといえるドゥカティも水冷&4バルブ化を遂げていたため、メカニズムとして劣るOHVエンジンのルシファーズハンマーは十分善戦したといえるだろう。