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【H-Dカスタム考察】ボバーとは!?

ボバー カスタム 何

ハーレーのカスタムには「ボバー」や「チョッパー」、「フリスコ」や「スピードクルーザー」など、さまざまなスタイルが存在する。我々ハーレー好きにとってはどれも馴染み深いが、バイクに興味をもって間もない人にとっては、何のことやら、ちんぷんかんぷん!? というワケで、あらためてカスタムのスタイルを解説していこう。そもそもハーレーはアメリカで「ライフスタイル」や「文化」として深く根付いているワケだが、カスタムもまた、その時代ごとに流行を作り、いくつものスタイルを生み出してきた。第1回となる今回は、“カスタムの始まり”ともいえる「ボバー」を掘り下げていこう。

掘り下げる前に知っておくべき“アメリカのレース”

1900年代初頭は板張りのオーバルコースを走る「ボードトラックレース」が主流。ハーレー社はOHV方式で8バルブを採用したレース専用車両を投入するなど、文字通り総力を上げて参戦し、高い人気を誇ったのだ

「ボバー」というカスタムスタイルは、その発祥を紐解くとレーシングマシンがルーツ。というワケで、まずはアメリカのレースシーンを理解しておく必要があるだろう。レースシーンとはいっても、いまから100年前のことである。

「ハーレーダビッドソン」が創業して間もない1900年代初頭、それまで馬でしていたのと同じように、「バイクで競争を楽しむ」という文化が生まれた。その当時は、木材で作られたオーバルコースで競う「ボードトラックレース」が主流。ハーレー社は1913年にレース部門を設立し、レーシングチームを発足した。ハーレー社はこのレースで破竹の勢いで勝利を収め、わずか数年で「レッキングクルー(トラック荒らし)」と呼ばれるほどの存在にまで上り詰めた。レースの結果は報道され、格好の宣伝活動の場となり、ハーレーダビッドソンというブランドのイメージアップに貢献したといえるだろう。だが、このボードトラックレーサーがボバーというカスタムと結び付いたワケではない。

ボードトラックレースと入れ替わるように人気を博したのが、ダートのオーバルコースを走る「フラットトラックレース」。このほかにも崖のような急斜面を上る「ヒルクライムレース」も単純明快さで人気となった

人気の高かったボードトラックレースだが、重大事故が多発したことによって次第に廃れていった。それに代わって注目されたのが、1920年代以降に広く普及した「フラットトラックレース(※ダートトラックレースとも呼ばれる)」だ。これはダートのオーバルコースを走って競うもの。このレースによってボバーが世間に広まったといわれている。

というのも1930年代以降、アメリカのレース団体「AMA(アメリカン モーターサイクル アソシエーション)」は、世界恐慌などの影響で落ち込んでしまったバイク人気を再び盛り上げる狙いで、アマチュアのレースカテゴリーである「クラスC」を設立。このクラスの競技者は、“エントリーするバイクに乗ってサーキット会場に向かうこと”をルールとして定めたのだ。結果、当時の市販車とはまったく雰囲気が異なった、明らかに軽量でシンプルなレーシングマシンが多くの人の目に触れることになった。これこそがボバー普及の“きっかけ”になったことは間違いないだろう。

クラスCにはご覧のような車両(写真は1938年モデルのWLDR)が多数エントリーした。このスタイルで街中を走ったことで「ボバー」というカスタムが広く認知されたワケだ

ストリート発祥の“バイカー”によって一大ブームに!!

第二次世界大戦中、ハーレーダビッドソンが製造するバイクのほとんどは軍需用に切り替えられた。そのためこの時代の市販モデルは極端に少なく、WLAばかりを9万台生産した

クラスC設立によって“改造車”を目にする機会は増えたものの、その当時は車両も高価でありバイクは“お金持ちの道楽”でしかなかった。そんな状況すら変えてしまったのが、第二次世界大戦である。ハーレー社は軍用車「WLA」を大量生産して戦地に投入したが、結果、多くの兵士が“高価なモーターサイクルに触れる”きっかけとなった。そして戦争が終結し、エネルギーを持た余した帰還兵たちが目をつけたのが、民間に放出され、安価に出回っていたWLAと、1930年代からボチボチと街中を走っていたクラスCのレーシングマシンというワケだ。

仲間とクラブを結成し、レーサーのように改造したWLAを乗り回す行為が一部の若者の間で流行しはじめたころ、カリフォルニア州ホリスターで起こった暴動事件が起き、これが報道されたことをきっかけに、やがて大きなムーブメントとなった。ストリートにカスタムという行為を根付かせた“始祖”ともいえるスタイル。それこそが「ボバー」だ。

1947年に起きたバイカーによる暴動事件。その報道写真は、酒に酔った若者が当時のレーサー風に改造したハーレーにまたがる姿だった。この事件をモチーフに、マーロン・ブランドが主演したことでも知られる『乱暴者(あばれもの)』が公開されると、改造バイクを乗り回す行為は海を渡りイギリスで「ロッカーズ」として華開いたことは有名な話だ。これらのことからレーサーを真似て改造する行為が大流行した。車両は上の写真のように(※WLAベースのボバー)、あらゆる装備を撤去し、後ろのフェンダーをカットするなどレーサーのように極力シンプルに仕上げることが特徴

「ボバー」の由来って!?

クラスCのレース用車両の多くは軽量化のためにリアフェンダーが切り落とされていたのだが、このスタイルこそが「ボバー」という名の由来になっている。もともとは当時の競走馬に見られた「切り尾」が語源とされ、後ろ髪をバッサリ切り落とした「ボブカット」と意味は同じだ。

16世紀ごろ、競走馬などの尾をバッサリと切ることを「Bob」と呼んだとされ、このリアフェンダーを切り落としたスタイルもそのBobが語源。総じて「Bobber=ボバー」と呼ばれるようになった
女性のヘアースタイルである「ボブカット」も馬の切り尾と意味は同じで、こちらは1920年代から流行した

現在も人気の高いボバースタイル

この車両は現代の「ミルウォーキーエイト」エンジン搭載のソフテイルをベースにドイツの「リックスモーターサイクル」が製作したボバーの一例。とても短い前後のフェンダーや、ヴィンテージ調のサドルシートなどで、いにしえのボバースタイルを構築しながら、1960年代に流行したマグホイールのレプリカをチョイスして本格レーサー風を実現している。

ハンドルの左右をブリッジでつないで強度を増した“ハリウッドバー”を装備。当時人気の高かったハンドル形状だという。タンクは1930年代に実際に採用されていたフライングホイールデザインを採り入れつつ、エイジング塗装によって古めかしく仕上げている
短いリアフェンダーはもちろん、後方に向かって跳ね上がったマフラーで当時のレーサー風のスタイルを強調。その筋の方々に高価な値段で取り引きされているマグホイールと、ほぼ同じデザインのホイールを、ドイツのメーカー「W&W」のオリジナルブランドである「キャノンボール」が復刻。この車両の特徴的なディテールのひとつだ

メーカー“純正”ボバーもある

カスタムとの親和性が高いハーレー社だけに、はじめからボバースタイルを採用したモデルもあった。どちらも既にカタログ落ちしてしまっているが、ボバーの出来栄えとしてはかなり秀逸。さすがボバー発祥の地で続くメーカーだけあって勘どころを抑えている!!

【2008~2012】FLSTSBソフテイル クロスボーンズ

スプリンガーフォークとサドルシートを備えたその姿は、レーサー発祥というよりも、1940年代に若者の間で流行したボバースタイルをリアルに再現したモデルといえるだろう。随所に入れられたピンストライプや、あえてのファットボブリアフェンダーからも正当派なカスタムカルチャーを感じさせる一台だ

【2012~2021】FLS/FLSLソフテイル スリム

ショートタイプの前後フェンダーのほか、当時のレーサーに装備されていた形状の“ハリウッドバー”ハンドルを採用。近年のハーレーでありながら細身のリアタイヤを装備するなど、いにしえのボバーと呼ぶにふさわしいスタイルが特徴。ハーフムーンタイプのステップボードやキャッツアイ風のメーターダッシュなど、ディテールも本格的だ

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